この文章を、どこからどう書き始めたらいいのか、
年が明けてから、ずうっとぼんやり考えていました。
今回、本当にたくさんの景色を見ました。
「レポートのための密着取材」なんていうスマートな居かたはできませんでした。
取材者として前代未聞のことですが、取材期間中、
何度か号泣をしました。しゃくりあげすぎてしゃべれないくらいに。
私が泣いていたことに対して、こまちゃんは一緒に怒ってくれました。
一番大変な時期にあるはずのオーハラさんは、背中をさすってくれました。
この人たちのもとへ訪ねていくようになって3年9ヶ月。
彼らはいつも、「何か書いてもらえる」ことではなく、
「オガワさんがここにいる」ことを喜んでくれます。
私は、彼らの世界を形成する、何らかの一部なのだ。
フリーの風来坊ライターは、普段めったに味わえない喜びにふるえたのです。
けれど、あの日。
さくちゃんが稽古場を出て行ったあの日。
ショックに打ちひしがれながらも、それでも前に進むしかないのだと、
円陣を組んだみんなの姿に、痛烈に感じました。
私は、彼らの一員ではない。
立ち入れない。何もできない。
この旅で流した涙の理由を、
みんなひっくるめて言葉にするなら、たぶんそういうことです。
大泣きした頃、私はサイトー家から亀尾家に宿替えをしていました。
この大変な時期に、邪魔はできない。身を潜めるように暮らしていました。
30日夜、つまりこの旅の最後の宿泊も亀尾家に居させて下さいとお願いしたら、
亀尾先生がこんなことを言うのです。
「最後の夜は、オガワさんはサイトー家にいるべきです」と。
この時期、この局面において、
彼らのそばにいられる観察者はオガワさんしかいない。
オガワさんは彼らとの人間関係を先んじて遠慮してるかもしれないけど、
限られた風景を「書き手」として見届けにいく、その権利があなたにはある。
そんな流れで決戦前夜、勇気をふるってサイトー家に一泊。
こたつの周りで、せりふ返しや事務作業をそれぞれ行うみんなのもとを、
サイトーくんが渡り歩く形で、打ち合わせが進んでいきました。
やがてサイトーくんはきわめて唐突に、洗濯物を干し始めます。
……それ、やろうか? そう声をかけると、
「いや、大丈夫です。むしろ落ち着くんで」。
いろいろ全部が同時進行。
その混沌こそが、ハタチ族なのです。
◆
決戦当日。
12月31日。とても寒い朝です。
朝8時にホールへ集結して、場当たりが始まります。
それが10時10分に終了。その10分後に、最初で最後の通し稽古。
すべてのタイムリミットは、11時45分。
あと1時間半しかありません。
客席で通し稽古を眺めながら、とてもとてもびっくりしました。
だって昨日、受け取ったばかりの台本です。
そして昨日、場当たり稽古しかできてません。
そしてそして前夜は明け方までみんな打ち合わせをしてたはずです。
なのにみんな、せりふが、だいたい入ってる。
出ハケもみんな、だいたいできる。
こ、これは……
これは、やれちゃう! やれてしまうよーーー!
気づけば外は雨。
なのにロビーを埋め尽くす、お客さんの大行列。
ロビーでは、ハタチ族の365日間にディープに付き添ってきた、
ヘビーウォッチャーの皆さんがきびきびと働いています。
皆、それぞれの方法で、
「ハタチ族と共に在る」方法を探り、果たしてきた人たちです。
開場時間が来ます。
行列をなしていた人たちが、客席になだれ込みます。
……え。うそ。まじで。
本当に満席になっちゃうじゃないか……!

結果を先に申しますと、「満席」どころの騒ぎじゃありませんでした。
客席の後ろにはたくさんの立ち見客の皆さん。
目標キャパ465席のうち、この日の入場者は527名だったそうです。
この景色を、前説をしに登場したサイトーくんがまず目にします。
一瞬だけ、声がふるえた、ような気がしました。
あとで本人に聞いたら「後ろの方まで見えてなかったんでー」ってケロリとしてたけど、
いやいやあの景色を見たサイトーくんが、ケロリとしていられるはずがないのです。
劇団の春も夏も秋も冬も、
酸いも甘いも苦いも辛いも、
ほんの1年間に凝縮して食らいたおしてきた人なのですから。

◆
物語の主軸を担うのは、とある劇団です。
元晴くんが座長を務めるその劇団に、
新人として入ってきたサイトーくん。
元晴座長が、どうもパッとしない劇団情勢を改善すべく、
起死回生を図って書き上げたのが『演劇卒業』。
その物語の中ではサイトーくんが座長で、
劇団員たちはそれぞれの場所を見つけて散り散りになってゆき、
その背中を見送る座長の悲哀が描かれます。

「劇団が、劇団を演じる」。
その外枠の中にサイトーくんは、
この1年間で経てきた自分たちの全部を、
詰め込みに詰め込んで、お客さんに披露しました。
『白眼の向こう側』。『こども劇場』。『あきふみは待ちながら』。
愛しくて懐かしい作品群のハイライトシーン。
それらを通して描かれるのは、
おそらく演劇に(あるいは表現に)携わる者の多くが至る岐路です。
この道を、歩き続けていていいのか。
この道は、どこにつながっているのか。
そもそも、どこかにつながっているのかいないのか。
登場人物たちは、各々の理由で劇団を出てゆきます。
でも物語終盤、「やっぱり気が変わりました」と戻ってきます。
すると今度は、みんなの一部始終を全部見ていた元晴座長が、
「俺にはもう無理だ」と言いだして、出てゆきます。
そんなふうにして、誰かが何かをあきらめるたびに、
常にそれを励まし、声を枯らし、演劇の道に引き戻そうとするのが、
劇中ではいつも、サイトーくんなのです。
ある場面では新人として、ある場面では座長として。
劇中の群唱シーンにサイトーくんが持ってきたのは、
フラワーカンパニーズの『発熱の男』という曲の歌詞でした。
「靴底は減っているのに 見える景色は変わらない どこにも辿り着けていない」。
365日を達成しようとしている人が、です。
お客さんも入ったんだし、今日はもう、
お祭り騒ぎだけしときゃいいんじゃないか、って日にです。
「どこにも辿り着けていない」って言うんです。
そう。これは到達点なんかじゃない。
振り返って喜びを噛みしめるのは50年先でいいのです。

◆
客席には、カムカムミニキーナの松村武さんがいました。
3年9ヶ月前、亀尾先生が初めて上演した創作市民演劇『異伝ヤマタノオロチ』に、
俳優として客演していた劇作家です。
彼の言葉を借りるなら、今ハタチ族の主軸を担う面々が、
まだまだ「亀尾チルドレン」だった頃から、
今日までの成長を、つかず離れず、見守ってきた人です。
「もう僕はみんなのことを、『亀尾チルドレン』だなんて思えない。
本当に頼もしく、立派に見えたなあ」
雲南の演劇シーンにおいて、何かをしでかしたいと思っていた、
かつてのサイトーくんに、このことを焚き付けた張本人です。
「カムカムはさあ、毎日1時間ずつ、1ヶ月間、
新作公演をやったことがあるんだよー!」
じゃあ365日やりますよ俺たち。……これがすべての始まりだったのです。
「何日か前、僕のところにオガワさんからメールが届いたんですけど」
松村さんが言います。
ええ。しました。あまりの事態に。
彼らに圧倒的なエールが欲しくて、「いつ来られますか」と尋ねたのです。
「あの時僕は、きわめてグレーな返答をしたんですよ。
『31日朝着のつもりだけど、がんばれば行けなくもない』というような」
ええ。そうでした。
でもサイトーくんが、そのエールは要らない、ときっぱり言い切ったのです。
「僕はね、正直、参加したかったんです。何らかの形で。
俺はその場に居たのだ!って言いたくて言いたくて。
それくらい魅力的なイベントでしたよ。後世に語り継がれるべき局面だった」
打ち上げの席で、何かひとこと聞かせて下さいと請われた松村さんは、
みんなの前で立ち上がって、言いました。
「街を変える、ということをここまでちゃんとやっている演劇人は、
都会にはいないんじゃないかと思うんですよ。
今日は若い人だけじゃなくて、
杖をついたおじいちゃんとかが、観に来ていたでしょ。
それがほんとに素晴らしくて……あー、感極まってきちゃったなあ」
ここで松村さんは、本当に目を真っ赤にして、言葉に詰まってしまうのです。
「自分にはこんな同志がいるっていうことが、本当に嬉しいし、自慢したいんです。
同志が増えた、と。これからも一緒にやっていこうよ!と。
こんな現場を作れてる演劇人がどれだけいるのか、って声を大にして言いたい」
それを受けて、サイトーくんは言うのです。
皆さんが「ハタチ族の快挙」とか「西藤将人の快挙」としてではなく、
自分自身のこととして喜んでくださるなら、それが一番嬉しいです、と。
◆
自分も、ハタチ族の一部なのだ。
この1年、そう実感できた人と、できなかった人がいることを、
私は、ほんのりと知っています。
そして、後者の気持ちも、
私は、ほんのりとわかってしまいます。
演劇の現場で、観察者として身を置き続けることは、
疎外感の洪水みたいなものですし、
何らかの波に乗りそびれたり、乗りたくなかったりする気持ちが、
心や暮らしに及ぼす影響を、私は身を持って知っているから。
ただ、40過ぎの経験則からひとつ言えるのは、
人生、今がすべてじゃない。ってことです。
今無理なことは、永遠に無理ってわけじゃない。
今できることが、永遠にでき続けるとも限らない。
今許せないことも、いつか、景色を変えたりするんです。
幸いなことに、ハタチ族はここがゴールではありません。
むしろ、ここからが始まりです。
ひょっとしたら、今とはまるで違う形で。
今の自分たちには、まるで想像もつかない形で。
人と人は、また出会い、そこから何かが生まれたりする。
その、ここから先の歴史を、僕たちは重ね続けるのだ。
「劇団」というのは、そんな誓いでできているのかもしれません。
ここまで長らく、読んでいただいてありがとうございました。
そしてこの主観まるだしの文章を、許してくれたハタチ族の皆さんもありがとう。
いつかまた、何らかの時に。
小川志津子
