2015年9月7日 のアーカイブ

あきふみ筆をとる〜my song〜

2015年9月7日 月曜日

9月3日終演後

 

椰子の実」は私の大好きな歌の一つである。異郷に流れついた椰子の実が故郷を想う歌なのか、それとも故郷に居て、その故郷を想う歌なのかなどといったことはどうでも良い。流れついた椰子の実を、死んだはずの父が助け、育て、その成長から老いまでを見守る。その姿が隔絶した親子に会話をもどし、仲をとりもどしてゆく。その親子の愛情がとりもどされるところに、椰子の実の存在意義がある。今まで見たことのなかった父の姿に、そしていずれ一人徒歩でさまようことになる父の姿に、娘は新たな発見をしたのではないか。

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人が近しい関係になるには、互いに良いところを見い出して、それを認めあうところからはじまる。それまで知らなかった他人の姿を見い出すことが大事なことだ。娘は父の死後、父がする他界への遠い旅路に先だち、その前に椰子の実を育てた父に感動する。はじめは少しぎすぎすした口調が、だんだんやわらかくなり、そして父子の会話になってゆく。そして、本根も少し頭をのぞかせる。

人間は死ぬと考え方が大きくなるものだろうか。西藤氏のやわらかい父親像があるが、過去には精神病院で治療をしなければならないほど激しいものであった。そのギャップに、ふと先ほどのような人は死ぬと考え方が大きくなるといったことも考えてみた。死後の世界があると仮定してでの話だ。

樋口ミユ氏の脚本と、同氏の世界観をとらえ、松浦氏のギターの生演奏に乗り、流れる様に語られる大原氏の詩文をバックに、淡々とした西藤氏の演技が冴える。

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9月4日終演後

 

父と娘とはなぜひかれあうのだろうか。生きている間は、話もできなかった父と娘が、その死を迎えるとなぜかひかれあう。父が気違いのようになって、精神病院へ行ったことも思い出となり……。

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そこに椰子の実が登場してくる。ギャオスギャオスと泣く椰子の実。父はそれを拾ってシーツを着せ育てはじめる。父は何を思ったのだろう。遠き島より流れ寄る椰子の実に自分を見たのだろうか。「椰子の実」という島崎藤村の詩の椰子の実は、その故郷に居て故郷を偲ぶととらえているといいながら、父は、流れついた椰子の実を育てる。そこには椰子の実を思う心が、育てれば育つほど自分に似てくる椰子の実に、遠く故郷を偲ぶものを感じたのだからではないだろうか。そして、他界してこれからどこかわからないところへ行ってしまう、これからの自分を椰子の実とだぶらせているような気がする。

空の青さと海の碧さが一直線に分かれている。その遠〜いかなたからやって来た椰子の実は何だったのだろう。娘にも同じように愛情を向けてやることができなかった告解を、娘に伝えてくれたもの。自分にも育てることの喜びを教えてくれたもの。……。

松浦氏のギターの演奏をバックに、大原氏の詩文の朗読が響く。西藤氏の演技が冴える。

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ついに別離の時が来た。何も迎えは来ない。歩いて父は行く。どこへ行くのかはわからないが父は逝く。

樋口ミユ氏は何を考えたのだろう。女性だから感じる憧憬か。

静かなフィナーレで幕はおりた。

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9月4にお越しいただいた14名のお客さま

ありがとうございました!!

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あと、118日!!

 

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